純愛に見えない純愛?一途で真摯で強い愛!

突然ながら、「愛」という言葉を聞いたら何を連想するでしょうか?
●初々しいカップルや熟年夫婦に代表されるような幸福な関係
●叶わなかった悲恋や引き裂かれてしまった関係で消えない強い想い
●恋愛ではなく、親から子への愛,飼い主からペットへの愛,師弟愛 etc.


愛のイメージは人それぞれで、突き詰めていくと永遠に一致出来ないモノかもしれません。
けれど、その中で「純愛」という言葉は、しばしば幸福なイメージと結び付く事と思います。
多くの純愛作品が、徹頭徹尾、その幸せな雰囲気を維持しているでしょう。


では、おおよそ純愛と呼べないような過程を経たら、純愛は成立しなくなってしまうのでしょうか?
一般的には狂気的・偏執的な行動や想いも、純粋に極めれば、また異なる純愛に成り得ると思うのです。
という訳で、今回は、一見すると「純愛」とは思えないかもしれない個人的純愛作品達を紹介します!


以下、18禁の話題につき伏せ。

「独蛾」(月吉ヒロキ

『独蛾』
まずは、『COMIC LO』にて連載されていた「独蛾」です。
今作は、フェチの花を開花させて鮮烈なデビューを飾った初単行本「夏蟲」に続く、作者2冊目の単行本。
ちなみに、月吉ヒロキ先生は『電撃マ王』で、「痕〜きずあと〜」のコミカライズも連載中。


まず、表紙の見た目からして、純愛の印象を持つ人はあまりいないかと思います。
しかし、是非とも帯に注目してもらいたい所。裏表紙の帯には、こう書かれています。

電車痴漢・黒タイツ失禁
催眠調教・野外羞恥プレイ
目隠し・足舐め・クリ責め
電マ責め・フェラ特訓
ビデオ撮影・犬姿勢放尿
尻穴特訓・拘束強制アクメ
ネトラレプレイ・逆痴漢・連続膣内射精
…でも純愛。
ただひたすらに
愛だけ。
この文章が激しい矛盾を孕んでいるのは、一目瞭然です。
本来、ここに列挙されている行為の数々は、「純愛」や「ただひたすらに愛」という言葉と結び付かないでしょう。


しかし、全てが明かされた終盤、主人公:白河と先生は共に喜びを得て、愛し合っているように思えるのです。
事が上手く進んだ先生が喜ぶのは自然な流れとして、当初、白河は自分への行為を反芻して先生を憎み切っていたはず。
その憎しみは明確で、一度は先生に「――この人は」「最ッ低だ……」と怨嗟の声を吐く程。
「――この人は」「最ッ低だ……」
この憎しみは、上記の純愛=過程と結末で一貫した愛という考え方に基づいたモノな気がするのです。
憧れの先生と結ばれた結末はともかく、過程は捻れに捻れ、とても純愛とは言えない。
その過程と結末の両方を受け入れた結果が、白河の喜びや愛へと繋がるのではないかと。


一方の先生は先生で、白河しか愛せない理由を持っていました。
その理由の善悪は別の問題として、その理由故に、間違った道を歩むとしても彼女を強く強く愛する
他の女生徒の好意や白河自身の好意にも真っ直ぐに応えられないけれど、それでも白河と結ばれたい。
妄執と愛の狭間
妄執と言って差し支えない程の愛は、結ばれた後(ラストでも)、何度も見る事ができます。
「暗闇の中で見付けた彼女を、一日たりとも忘れる事なく愛して、遂に一つに結ばれる」
この文章は純愛と結び付く人も多いと思うのですが、「独蛾」はこのパターンが根底にあると思うのです。

「TSF物語」(新堂エル

TSF物語 (MUJIN COMICS)
次に、『コミックMUJIN』にて連載されていた「TSF物語」です。
タイトルの「TSF物語」は、「Takumi ga Seitenkan shite Fuck saremakuru物語」の略。
勿論、この略称はTSFというジャンルとの掛詞でもあるのは、ご推察の通り。
その名の通り、表題作「TSF物語」は、作者の本気が篭ったTSF物になっています。


今作も、まずは帯の謳い文句を見てもらいたいです。

女体化したらナニをする?
痴漢!!輪姦!!
肉便器!!
でもハッピーエンド!?
「わけがわからないよ」と混乱した人、恐らく正しい反応だと思います。
或いは、この行為からのハッピーエンドという所に、違和感や不安を抱いた人もいるかもしれません。
しかし、今作の終わり方は、安直な所謂ご都合主義的ハッピーエンドではありません
少なくとも、男に戻り女体化した時の行為をなかった事にしてメデタシメデタシ…から掛け離れているのは断言出来ます。


ここに書かれている行為は全て、作中で主人公:タクミの身に実際に起こっています。
しかも、一度きり物ではなく繰り返しで、内容はハードや凄惨と言って過言ではないはず。
変わりゆく関係
それでも、その行為の数々があって猶、個人的に純愛と呼べる要素が今作には2つ眠っています。
一つは、性別の垣根を超えたからこそ、成立できる愛
もう一つは、性別の垣根を超えてしまったからこそ、成立できない愛


ある日突然、男と男から男と女・男と女から女と女になった事で、今までと違った関係性が生まれる。
一人は、戸惑いを覚えて想いを暴走させますが、肉体を重ね合わせて想いを示す事もできるようになった。
しかし、もう一人は、新たに生まれた想いを示そうとしても(主人公や環境的な)性別の壁で阻まれ続ける。
取り引き
その変化した性別という問題を克服すべく、二人の人間はそれぞれに行動を起こし、その行動が帯曰くハッピーエンドへ繋がります。
そもそも、冒頭の一般的であろう純愛の考え方的には、今作より同時収録の「一人ナベ×二人ナベ」の方が遥かに純愛のはず。
しかし、時に暴走しかねない程に強烈な性別間の問題を乗り越えようとする愛が、私の目には純愛として映るのです。

「性転換教室」(幾夜大黒堂

性転換教室 (富士美コミックス)
最後に、『ペンギンクラブ』にて連載されていた「性転換教室」です。
タイトルから分かる通り、「TSF物語」同様、今作も性転換をテーマとしています。
しかし、今作で興味深いのは、性転換がスタートではなくゴールに設定されているという点です。

エロマンガの性転換ものって、朝起きたら女になってました的な

性転換からスタートするお話が主流だと思うのです。そこで、

逆に性転換がゴールになるお話ってどうなんだろう?

って考えたところがこのお話のはじまりになりました。

描きおろしエピローグ直後の後書きにて、作者がこのように語っている通り、今作の舞台や世界観は独特で実にオモシロイ!


成人は性別を自由に選ぶ事ができ、その希望者には、卒業(=成人)前の最終学年にて性転換に関する授業が行われている世界。
性転換は進路とも密接に関係してくるので、学生達にとっては大きな決心となります。
そして、それだけの大きな決心には、それぞれの夢や事情が存在して――。
それぞれの想い
一年という月日の最終学年の月日の中で、肉体的にも精神的にも変わっていく彼等。
深まっていく愛や新たな喜びがある一方で、戸惑いや決心の揺らぎも存在する。
それぞれの変化の機微が丁寧に描かれ、話が進む事に積み重なっていきます。


今作の白眉は、描き下ろしのエピローグで間違いないでしょう。
自分がエピローグ好きという事もありますが、今作のテーマを考えると、このエピローグは是非とも欲しい。
彼等の選択のゴールであるだけでなく、積み重なってきた想いや関係性のゴールでもあると思います。
性を選ぶという事。
それぞれの性別で感じた事を、互いに共有できたら、それはとても素敵な事だとメインキャラクターの魚住夫妻は言います。
モチロン、作中でも描かれている通り、それぞれの性別で得られるのは喜びだけではなく、苦しさもあるはずです。
でも、それも分かった上で性転換を望む彼等の決断に、私は力強くエールを贈りたいと素直に思います。
余談ながら、こっそりスパッツ・リベンジを誓う幾夜大黒堂先生の事も、全力で応援したく!



今回紹介した3作品の内、最後の「性転換教室」だけは、冒頭の純愛の考え方と共通する部分も大きいはず。
一方で、残りの2作品「独蛾」と「TSF物語」は、どうしても純愛とは思えない人も少なくないと思います。
でも、3作品とも、私にとっての純愛の要素を共通して持っています。


その要素こそ、互いに対する想いの強さです。
過程や行為や世界観が一般的な純愛とはかけ離れていたとしても、その根底には相手を強く思う気持ちが存在する。
むしろ、時に歪な方法に手を染めてしまう程に、その心からの想いは強い。
まず、この純粋で強烈な想いに、私は強く胸を打たれます。


そして、その想いが互いに実を結んだ時の喜びや感動は、何物にも耐え難いと言って過言ではないはず。
日々の生活で、一途に真摯な強い想いを持つ事・抱き続ける事は、相当のエネルギーを要する貴い行為だと私は思います。
それ故に、正の方向でも負の方向でも、これ程までに一人に対して強い愛を持てる彼等が、私には眩しく映るのでした。