漫画家という存在・漫画というメディアについて

本ページは「楽園 Le Paradis」第13号刊行記念トークセッション―「楽園 Le Paradis」を語る―レポートその3です。
トークセッションの概要やレポートの目次等は、以下のページにて。
[楽園] 「楽園 Le Paradis」第13号刊行記念トークセッション―「楽園 Le Paradis」を語る―レポート


新人作家の作品への想い

新人作家の作品を読む事が、かつても今も一貫して好き。
白泉社に販売として入社したのも、新人作家の作品が載っている雑誌を1冊でも多く売り、1人でも多くの新人作家の活躍の場を広げたかったという想いに起因する※1


全ボツは宝の山

良いネームはやり取りが早く、そうでなくても作家と話をして描き直してもらうと非常に良くなる※2


問題は全ボツ。ただ、全ボツは宝の山でもある。大きく言うと、1つの全ボツから3つくらいの話ができ、更に「この人でないと描けない」という作家の味が一番出ている。そういう意味で、本当に単純に全ボツは存在しない。
でも「じゃあ、何故これは全ボツなのか?」を作家に伝える必要があり、その作業が編集業で一番大変。飯田編集人は、その説明の時が最も口数が多く、言葉を尽くす。電話では相手の顔が見えないので、尚更、手探りで言葉を探しながら。
とは言え、全ボツを受けて作品を描き直すのは作家なので、編集としてそのくらいの大変さはキッチリ請け負うべき。


1話目の重要性

どんな作品でも、1話目より2話目、2話目より3話目の方が大変になってくる。1話目は礎なので、その後の話を支えるとても重要な存在。
長期連載で話がどんどん面白くなっていく作品の多くは、1話目が物凄くしっかりしている。但し、作家本人が意識的に描いているとは限らず、後から話してみると「買い被り過ぎ」という反応も結構多い。


かつて林家志弦先生からもそうした反応をもらい、「なら、漫画の神様はやっぱりいるんですよ」と飯田編集人が言ったら、「漫画の神様は人使いが粗いや」という名言※3が返って来たことが印象深い。
思春期生命体ベガ
後から振り返って「何であの時あんな設定にしてしまったのか」ということも無くはないが、飯田編集人(と担当作家)にとっては稀有。


かずまこを先生から:
自分も基本的に「何であの時あんな設定にしてしまったのか」と思うことはないが、かつて一作品だけ、そう思ったことがある※4
そうなってしまったら、とにかく毎回、何とか一生懸命ハンドルを回す。誤ったら崖に落ちるくらいの気持ちで。本当に難しい作業。
そのエピソードを通じても、やはり1話という土台の重要性を強く感じた。


漫画家とのやり取り

仕事柄、プロットを読んだ段階で完成時のページ数が見える。漫画家が気付いている事も偶にはあるが、編集という立場上、漫画家よりも正確であることが多い。
かつて中村明日美子先生に「このプロットだと、これくらいのページ数が掛かるよ」と言った際、「いやいやまさか、そんなに掛かりませんよ」という反応が返って来たが、実際そのくらいのページ数になった。
お互いにそのくらいのページ数を見越したスケジュールを組んでいたので、日程的に問題はなかったが、中村明日美子先生は「トキメキはページを食うよ」という名言※5を残した※6
鉄道少女漫画
先の林家志弦先生の名言と併せて、期せずしてこうした名言が聞けるのも、この仕事の嬉しいことの1つ。


漫画家から提出してもらった原稿を読むと、デジタル・アナログ問わず、とても元気をもらえる。
ましてや良い出来であれば、どんなに疲れていてもテンションが上がる。更には、飯田編集人の思惑を超えたり、飯田編集人を説得したりといった力も持っており、漫画家の原稿は凄い。


漫画家達と自分の打ち合わせは、傍から見るとただの世間話にしか見えないはず。でも、そういう他愛のない世間話のような話を積み重ねていくことで、漫画家も自分も互いに対する理解を深めていける。
上記のかずまこを先生とのハーレム物の話だったり、口頭の打ち合わせを経て完成したプロットの(口頭で打ち合わせした内容との)ズレの無さだったり。日頃の会話は大切。
ただ、会話をし過ぎて作家を規定し過ぎてしまう懸念は常に持っており、バランスも同じくらい大切。


漫画家の仕事は、将棋や囲碁の達人のようなものだと思っている。
将棋や囲碁の達人は、盤という世界の上で、何通りもの先を読んで(覚えて)、駒を動かしていく。
漫画家は、世界すら自分で生み出して、何通りもの展開を考え選び、キャラクターを動かし、筆を走らせていく。


漫画は描かれていることが全て

特に新人作家にアドバイスするのが、説明調は駄目ということ。
説明調は、読者に分かってもらえるように、読者が分かりやすいようにという親切な行為ではある。
ただ、じゃあ例えば、分厚い携帯電話の説明書をきっちり読んだことがありますか? 


人間、注意を払わない説明に対する意識はそんなもので、そもそもそうした説明を好まない。
新人作家の中には(作中の)設定の説明をする方や設定資料を持って来る方もいるが、漫画は描かれているものが全て。


こうした説明調を「スター・ウォーズ病」と呼んでいるが、『スター・ウォーズ』はあれでも良い。何故なら、映画であれば映画館に行って座った以上は最後まで見るから。でも、漫画雑誌はそうでない。読者は簡単に読み飛ばせる&気軽に雑誌自体を閉じられる。メディアの違い※7を意識する必要がある。


漫画の作り方・作られ方

かつて、とある漫画家から「漫画の描き方は、キャラクターから入る、ストーリーから入る、シチュエーションから入るに大別されるように思う」という事と、「飯田さんは、シチュエーションから入る作品が一番好きでしょう?」という事を言われた。
まさにその指摘通りだったが、当時はそのような自覚は全くなかったので衝撃的で、その後もずっと抱き続けている考え方。


同時に、自分にとっては、キャラクターから入る作品は面白くないものが多いことにも気付いた。と言うのも、キャラクターは読者がイメージするものだ、と自分は思っている。
勿論、作家や編集もイメージを抱いて作品を作っていくが、読者が抱いたイメージは読者自身のもの。


ましてや作家ではなく、編集がアレコレ指示をしてキャラクターを作らせて人気を狙っていくのは烏滸がましい、作品全体を殺す行為だと思う。
但し、そうした行為や、キャラクターから入る作り方が重要な作品もあることは理解している。ただ、自分にとっては、そうした作品は漫画と言うよりゲームのように思える※8


「漫画」というメディアについて

編集が作家を育てるのではない。作家自身の力があるからこそ、出て来られる。
そして、作家の力を込めた作品を良いと思ってくれる・広めてくれる読者がいてこそ。
編集だけでなく、漫画家や読者がいて初めて、作り上げた本は本としての意味を持つ。


漫画は二次元と言われ、確かに描かれている物は二次元だが

  • 印刷されて本という媒体になって、読者は捲ることができるので三次元
  • 作者から始まって読者に届くまでの時間・描かれているコマとコマの間の時間を読者が読み取れることなど、そうした「時間」を考慮すると4次元
だと思っている。


漫画というのは凄い媒体で、かつて栗原良幸氏※9は、「2コマで漫画は成立する」と述べた。
コマとコマがあれば、コマ間が生じ、そのコマとコマ間から読者は読み取る余地を得られる。


その一方で、紙にインクで印刷して閉じて本の形にするという工程を考えると、どうしたって古臭いメディアでもある。
手に持って広げて読むという行為が読者にもたらす、無意識の安心感に支えられているところもあると思う。


いずれの点についても、漫画は双方向なメディアである。


漫画の将来には楽観的であり、これからも様々なジャンルで、もっともっと面白くなっていくだろうと思う。
だからこそ、そのように移り変わっていく漫画界の中で、「楽園 Le Paradis」という小舟が難破しないようにしていきたい。


ノベルゲームと漫画というメディアの違い

まずは飯田編集人から勧められ、かずまこを先生よりゲームの告知(?):

  • 百合作品のファンにとっては、男の子がいっぱい出てくる
  • 『ディアティア』シリーズのように男の子が出てくる作品のファンでも、シナリオが自分担当ではないため暗め
なのでオススメはし難く、漫画からゲームをプレイしましたという感想を頂くと心配になる(苦笑)


飯田編集人から:
ゲームのフライヤーを見た時、男の子が良い表情だと思った。
かずまこを先生の目力や凛とした表情は、漫画でも「キャラクターのコマ数や台詞数よりも、印象に強く残る」という特長になる。まさに『ディアティア』1話の「――思い出した」「いつか見た 強い瞳」
『マイディア』第1話 『マイディア』第1話
飯田編集人からの質問:
ゲームの制作過程では、相方と相談してキャラクターから入るのか、それともストーリーから入るのか?


かずまこを先生からの回答:
相方が大まかに決めた上で、細かい点を二人で相談&長年の経験から「このキャラクターはこういう事を言わないのでは?」といった精査をしていく。
かずまこを先生の担当は、主として立ち絵の表情(=眉毛と瞼と目と口)なので、逆に相方から「このキャラクターはこういう表情をしないのでは?」という修正依頼もある。


幾つかゲームの制作に携わり、更に漫画の仕事も頂けるようになって、漫画家として自分が描く絵とイラストレーターの方々が描く絵の違いを意識できるようになった。
イラストレーターの方々が漫画を描いたり、漫画家がイラストレーターとして仕事をしたりということも多いので2種類の職業は一緒くたになりがちだが、実は全く異なるものという認識。かずまこを先生は、イラストレーターの方々の描くイラストには線の密度・絵の情報量などで到底及ばない。


その一方、漫画の技法で表情を描くと、イラストレーターの方々の描く表情よりも鮮明な、ハッキリとした表情になる※10
漫画において表情で何かを表現をするときには、コマにキャラクターを置く際に表情を何度も描く。眉毛の角度が少し違うだけでも、表情は丸っきり変わる。また、ストーリーに沿って、「このキャラクターならこういう髪型はしない」・「こういうファッションはない」等も、漫画なら常に自然と考える※11
こういった点は漫画からゲームに応用でき、だから漫画家(のイラスト)とノベルゲームというメディアは相性が良いのかもしれないと思っている。


飯田編集人から:
漫画は絵についてさえ言えば、本人に志があれば描けば描くほど上達していく。新人作家の方は「自分は絵が下手なので……」と仰ることもあるが、そういう訳で絵については心配することはない。
その点、かずまこを先生の絵の上達の仕方は、今まで自分が関わってきた漫画家達とは違い独特だと思っていたが、色々なジャンルやメディアでの仕事の経歴からかもしれないと、今の話を聞いて思った。自分の担当作家達を考えると、かずまこを先生の経歴は珍しいので。


「かつて林家志弦先生もゲーム制作に携わられていた」というかずまこを先生の言及から、飯田編集人が思い出したエピソード:
当時、林家志弦先生は、とあるゲームの仕事で300人以上の女の子を描かなければならなかった。通常であれば、各要素(=髪型や眼鏡や表情などなど)を組み合わせてパターン化してヒロインを作るのが定石らしいが、林家志弦先生は仕事内容を聞いた瞬間に高揚して300人以上を1人1人閃きで描いた。飯田編集人曰く、「本物だ」と思った。



続きのレポートその4―『艦隊これくしょん』〜スペシャル・ゲスト:木尾士目先生、登壇〜トークセッション終了―は、以下のリンクからでも飛べます。
[楽園] 『艦隊これくしょん』〜スペシャル・ゲスト:木尾士目先生、登壇〜トークセッション終了





※1

飯田編集人曰く、相撲部屋の発想。

※2

作家に描き直してもらう以上は、「描き直してもらって何とかなる」程度では駄目(飯田編集人)

※3

日本の漫画史上に燦然と残る名言だと思っている(飯田編集人)

※4

トークセッションでは具体的な作品名が挙がりましたが、一応伏せておきます。「楽園 Le Paradis」とは無関係&自分は予想通りだったので、かずまこを先生の作品を追っているファンの方なら推察できるかと。

※5

日本の少女漫画史上に燦然と残る名言だと思っている(飯田編集人)

※6

飯田編集長曰く可愛い声の中村明日美子先生を、飯田編集人が真似て名言を紹介。
「こんなジジイの声で言われてもピンと来ないでしょうけど」(飯田編集人)「でも似てます(笑)」(かずまこを先生)

※7

後程、『二宮ひかるオールコレクション「楽園」』での二宮ひかる先生と庵野秀明監督の対談の中で、庵野秀明監督が「映画は監督が全て。脚本やキャラクター等の個々の要因は勿論あるが、失敗も名声も監督が持って行く」と発言したことにも触れ、メディアの違いに改めて言及されていまいした。
二宮ひかるオールコレクション「楽園」

※8

飯田編集人にとって、
  • ゲームはプレイヤーが動かしていくもの
  • 漫画は既に描かれたものから(創り手のどんな意図があろうとも)読者が感じ取るもの
との事。

※9

「モーニング」・「アフタヌーン」の創設者にして初代編集長。

※10

適切な表現が見付からず、誤解を招きかねない表現になってしまうが……(かずまこを先生)。

※11

イラストレーターの方々が全く考えていないとは思っておらず、また誤解を招きかねない表現になってしまうが……(かずまこを先生)