表紙や予告、執筆陣などなど、「楽園 Le Paradis」について

本ページは「楽園 Le Paradis」第13号刊行記念トークセッション―「楽園 Le Paradis」を語る―レポートその2です。
トークセッションの概要やレポートの目次等は、以下のページにて。
[楽園] 「楽園 Le Paradis」第13号刊行記念トークセッション―「楽園 Le Paradis」を語る―レポート


仙石寛子先生を例に、予告について

『ディアティア』のラストやサブキャラクターの話を受けて:
普段こういう話は全くせず、ましてや事前に決まっていなきゃ駄目なんて言った試しがない。特に「楽園 Le Paradis」本誌は年に3回の本なので、仮に事細かに次号以降のことを決めてもそうならないことの方が多いはずだから。
この適当な方針は飯田編集人・執筆陣共に大変だが、お互いがやるべきことをしっかりやっていけば、キッチリ回っていく。


同じように、予告もあまり細かい事を書かない。書いてしまうと作家を縛ってしまう。但し、縛りを設けたり逆算したりして作品を描く方がスタイルに合っている作家もいるので、その場合には決めていく。例として、仙石寛子先生。


楽園 Le Paradis」第5号の仙石寛子先生の予告は、読者をミスリードさせたかったので一枚絵にした。
「楽園 Le Paradis」第5号予告
よく見るとセパレートになっており、予告内の男女&差し伸ばす手はそれぞれ別の作品。片方は『夜毎の指先』の姉、片方は『真昼の果て』の主人公兼ヒロインの男の子(文貴)。


但し、「楽園 Le Paradis」最新13号の予告では、「再び二本立てだろう」という可能性は読者の想定の範囲内&キャラクターのデザインのイメージも仙石寛子先生の中にハッキリあるので、タイトルを含めて明示した。
「楽園 Le Paradis」第13号予告 「楽園 Le Paradis」第13号予告


ただ、仙石寛子先生に限らずだが「内容やタイトルは変わっても良い」ということは常々言っている。予告はあくまでも予告なので。
但し、(仮)等を付けず、ハッキリと明示したものは変更しない。予告は読者との契約でもあって、「楽園 Le Paradis」本誌、コミックス巻末、ウェブサイト等で、内容やタイトルをハッキリと明示した以上は順守すべき。


スリードということに関して余談:
かずまこを先生は「楽園 Le Paradis」最新13号で再び巻頭カラーだが、この巻頭カラーは、表4(裏表紙)=ウェブサイトのカットと対になっている。

  • 表4(裏表紙)=ウェブサイトのカット:睦子は可愛らしいメイド服。
  • 巻頭カラー:睦子は大人びたウェイトレスの服。
「楽園 Le Paradis」第13号裏表紙カラー 「楽園 Le Paradis」第13号巻頭カラー
お互いにスケジュールを把握して仕事を進めているので、「秋人がバイトをする話なら」ということでお願いした。


楽園 Le Paradis」について

読み飛ばされることだけは辛いと思っているので、読み飛ばされない本を作りたい。
そのための方策の1つとして、「楽園 Le Paradis」の途中には広告を一切入れないことにした。途中に広告が入っていても普通は広告を見ず、むしろ読者が漫画を読む流れを阻害してしまうのではと考えたため。
「広告を挟まず漫画でビッシリしたら読み辛いのでは……?」という意見ももらったが、前例がないのであれば試してみる価値があるだろうと思い実行した(している)。


楽園 Le Paradis」は締切が早い。他誌でも中々類を見ないくらい早いはずで、前の月の25日が原則。
原則なので作家の提出が遅れてしまうこともあるが、遅れてしまった場合には「間に合わせた他の作家のお蔭で回せているのだから、次からはその点をしっかり考えて臨んで欲しい」と言っている。


楽園 Le Paradis」はSFや時代物を排している訳ではないが、事前にそういったジャンルでお願いしたことはない。
『てるみな』のように結果的にSFっぽくなっているものや、『思春期生命体ベガ』のように世に出てから言われてみればSFかと気付かされることはあるが。
個人的には、SFや時代物よりも日常を舞台にした話の方が、実は制約が多いかもしれないと思っている。
てるみな 1 思春期生命体ベガ ドラマCD付特装版 ([特装版コミック])


誌面の雰囲気や統一感は、週間や隔週でない(=スパンの長い)雑誌だから出せる。
作家の立場で考えると、週刊連載というだけで神の領域。また、自分の「ヤングアニマル」副編集長時代を振り返っても、隔週は作家だけでなく他の関係者にもすぐに締切が来てしまうので。


台割(=作品を掲載する順)は、大体3号くらい前までは正確に頭に残っている。また、台割は組まないが、大体3号くらい先まで大まかな順番を考えている。
但し、予告に関しでもお話した通り、先のことを細かく考えている訳ではなく、まずは目の前の一つ一つに全力投球している。先のことを考えすぎると欲が出てきて見方が甘くなり、展開が冗長になりがちなので。


楽園 Le Paradis」執筆陣について

楽園 Le Paradis」は絵柄1つ取っても癖のある作家ばかりで、「よくこんな本を作りましたね」と言われること※1も多い。その他の点でも、執筆陣は(他誌でもおそらくそうだと思うが)一人一人全く異なる。アシスタントがいない(いても極僅かな補助程度)という点が、唯一の共通項かもしれない。


後に登壇することになる木尾士目先生もアシスタントに関して:
今は自分もアシスタントに(補助を)お願いさせてもらっているが、『げんしけん』初代の頃は最初から最後まで一人で描いていた。
げんしけん(9) (アフタヌーンKC (1183))

書店員の声で決まった、シギサワカヤ先生の表紙

飯田編集人の中で創刊前から決めていた細かい事は色々あり、例えば、あらすじ柱やキャラクター紹介を載せない・エンドリードは書かない等。
但し、「楽園 Le Paradis」創刊号発売後に決まった唯一のことが、表紙の担当作家。当初は毎号異なる作家に頼むつもりで話をしていたが、複数の書店からの意見で一作家(=シギサワカヤ先生)固定に決まった。
楽園 Le Paradis 第1号
書店員は飯田編集人のことをよく分かっているので、

  • 年3回しか出ない
  • 認知されている看板作品も(創刊号なので当然)ない
  • 今後そうした看板作品が出来ても、飯田編集人は表紙に大きく載せるようなことはしないだろう
と。
それなら、表紙は少なくとも暫く、出来ればずっと同じ作家にして欲しい。本屋的にもアピールしやすく、読者的にも認識しやすいはず――と指摘され、その通りだと思った。
何人かの作家には謝り、今のような表紙の形式になった。


ただ、表紙の担当は結構大変で、毎号最低3パターンはラフを提出してもらっている。更にフルCGなので、最後まで細かい所をトコトン直してもらう。
ネーム等の漫画の作業に移れるのは、表紙の完成後になる。


巻末作品の重要性

飯田編集人にとって、雑誌の中で一番大事なのはラスト(巻末)の作品。
と言うのも、飯田編集人オススメの読み方を問われたら「緩急がつくので頭から順に読む」と答える※2。そのため、自分にとっての理想の読み方を考えると、ラストの作品で雑誌を閉じることになる。更に次号まで4ヶ月空いていることもあり、ラストの作品はその号のイメージに強く貢献する。


しかし、カラーは前以て依頼をしておける(=おく必要がある)が、ラストは各作品が一定以上形にならないと決められない。
事前に考えておけるのは、巻頭や巻中のカラーを依頼した人を外すことのみ。そのため、1号では売野機子先生、2号では二宮ひかる先生、5号ではかずまこを先生……というようにラストの作品が決まるとホッとする。


自分が大好きな漫画の1つに『大東京トイボックス』があり、「仕様を一部変更する」という名台詞が出て来る。
大東京トイボックス(1) (バーズコミックス)
ただ、自分にとっての現実では、あんなにスマートではなく泥臭い。自分においては、仕様の一部変更が有り得るとしたら、どの作品をラストにするかということ。
楽園 Le Paradis」8号目のラストの『14歳の恋』は、まさに仕様の一部変更だった。水谷フーカ先生は「まさか」とビックリ。飯田編集人は、フォークダンスの一連のシーンを読んで「これだ!」と思った※3
14歳の恋 1
既に入稿済のページもあったが、製版所へ行ってノンブルの変更をお願いした。そこまでしてでも、『14歳の恋』をラストに載せたかった。


楽園 Le Paradis」創刊号唯一の心残り

楽園 Le Paradis」創刊号唯一の心残りは、ラストの作品:売野機子先生の『日曜日に自殺』の最終ページの黒窓の中の写植。
後から見てみると、写植が1球大きかった。文字の球数や書体も、作品のイメージに強く結び付くので。
売野機子先生『日曜日に自殺』最終ページ



続きのレポートその3―漫画家という存在・漫画というメディアについて―は、以下のリンクからでも飛べます。
[楽園] 漫画家という存在・漫画というメディアについて





※1

褒め言葉として受け取っている(飯田編集人)

※2

とは言え勿論、読み方は読者の自由(飯田編集人)

※3

かずまこを先生は8号を思い返し、「でしょうね!」と納得。