続く「げんしけん」!新世代と色とりどりの想い!

突然ながら、私が一月で定期購読している漫画雑誌は多分20誌くらい。
その中の1誌が、結構な知名度があるはず(?)の『アフタヌーン』という月刊誌です。
月刊 アフタヌーン 2011年 10月号 [雑誌]
作品の入れ替わりやページ数の増減はありつつも、磐石の面白さを誇る雑誌だと思っています。


その『アフタヌーン』掲載作品の中で、自分の周囲で特に話題に挙がる作品がげんしけん 二代目」です。
げんしけん 二代目」(木尾士目
げんしけん 二代目の壱(10) (アフタヌーンKC)
タイトルから分かる通り、4年間連載され、2度のアニメ化も果たした「げんしけん」の続編に当たる今作。
最大の特徴は、斑目さんマジヒロインという事もありますが、げんしけんの新入会員達の存在ではないかと。
彼女達の登場によって、斑目ハーレムと言えなくもない新たなげんしけん・新たな関係性が生まれています。


この新たな関係性によって、げんしけんらしい青春やラブコメ(?)が戻って来ている一方で。
二代目の新しさによって、私達読者の側にも新しい視点・新しい感想が生まれているのではと思う機会が多々あるのです。
と言う訳で、今回は、「げんしけん 二代目」になって芽生えた感想を大まかに分類&紹介します!

げんしけん 二代目」への共感

否定されないオタク趣味
げんしけん 二代目」を読んでいて強く感じるのが、オタク趣味に肯定的という事。
そして、その肯定感の源は、新入会員である波戸や吉武の性格やオタク趣味へのスタンスでしょう。
彼等にとって、オタクである事やオタク趣味は全面的に楽しい物で、その楽しさを全面的に享受しているはずです。


かつての「げんしけん」は、オタク趣味のトラウマやコンプレックスが主軸の一つだったと思います。
ゆるゆると居心地の良い空間の中で、その主軸が時に不安を醸し出し、良いスパイスとなっていたような。
新入会員の中で、矢島だけは初代に近い気がしますが、彼女も後ろ向きではない上にオタクな自分への納得があります。
肯定の吉武、納得の矢島。
このポジティブな肯定・納得は、世代差、つまり若い人達の感覚なのかなと感じるのです。
自分は一応若者の部類なはずで、ポジティブにオタクになり、ポジティブにオタク趣味を謳歌しています。
新入会員達と同じ・近い年齢の若い読者には、新入会員達の若さ故の肯定感は共感できるのではないでしょうか?


では、年上の読者(自分の周りだと二十代後半や三十代前半)は、共感を得られないのか?
勿論そんな事はなく、彼等は彼等で、今の若者・若いオタクらしいという印象を共有しているように思えるのです。

げんしけん 二代目」への憧れ

賑やかに、肯定的に、ポジティブに。
次に、共感と関連して、「げんしけん 二代目」への憧れがあります。
以前の「げんしけん」連載中、私は中高生の若造でして、げんしけんの面々は大先輩。
大学という遠い世界で、先輩達が織り成す面白い出来事は、学ランを着ていた私にとって眺めていたい対象でした。


でも、げんしけんは楽しそうで、新入会員達と友達になって混ざりたいと思うのです。
自分が彼等と年齢が近くなって、オタク趣味に対する感覚や感性が似ている事が大きな理由だろうと。
そして、納得や肯定の下でポジティブに趣味を謳歌するという根っこの部分が共通している事が最大の理由な気がします。


けれど、一方で、この新たなげんしけんに対して居心地の悪さを感じるという意見もありました。
年齢が上の友人・知人からの「今のげんしけんは若々しくて眩しすぎて、もう自分は混ざれない」というのは、先の共感と併せて分かる気がします。


興味深いのは、私と同じ年代の漣さん(正直どうでもいい)が、キッパリそう言い切った事です。
二代目げんしけん、はじまりはじまり。 『げんしけん』10巻(二代目の壱)

かつてげんしけんを読んでいたころ、自分はまだ中学生とかだったわけですが
大学生になった今げんしけん読むと、なんか色々しんどくなりますね☆(笑えない)
(中略)
何度かお話してるのでしつこいかもですが、自分はげんしけんに結構影響受けた生き方しているので、この作品の続きを楽しみにできる、という今がとても幸せです。感慨深いですね。
げんしけん 二代目の壱」の感想でこう書いた彼は、初代「げんしけん」に憧れて、大学ではげんしけん的なサークルに入部しました。
その憧れの中で親近感を抱いていた笹原や荻上は、年齢的に当然ながら彼より先に進んで先輩の立ち位置に立った。
荻上の先輩の顔
sazanami233 今月のげんしけん荻上が「今のコは言っちゃうんだそういうの・・・」と少し呆れるシーンにズキっときた。昔読んできたときは、笹原とか荻上に感情移入していたと思われるだけに、年代的には新入生メンバー側の自分まで彼らに距離をとられてしまった感じで。 link
sazanami233 荻上はもう自分じゃないんだなー!とかよく分からない気持ちになったのかも知れない。なんでズキッとしたのかも自分でもよく分からないんだけど。ああでもやっぱり面白いげんしけん link
先輩となった荻上達とそうそう年齢の離れていない新入会員達との感覚の差は、今作で随所に描かれています。
私達読み手はげんしけんという場に憧れつつも、過去と現在に対する憧れの差で、抱く想いが真逆にも成り得る。
この憧れの違いも、実に興味深く、いざ話してみると大変面白いと思います。

斑目への共感や愛

斑目さんマジヒロイン!
最後は、二代目最高の萌えキャラ・最強のヒロインである斑目に対する共感の声もあります。
共感や憧れの部分で何度も出てきた通り、新たな会員達が入ってきた「げんしけん 二代目」は、以前の「げんしけん」とは似て非なる存在です。
しかし、その中で斑目だけは、かつての「げんしけん」を中途半端に引き摺ってしまっているように思えます。


その最大の理由は、咲との関係に終止符(?)を打てておらず、吹っ切れていない事でしょう。
だからこそ、笹原,田中,クガピー等と違ってまるでヒロインの如くげんしけん内で活躍しているとも言えますが。
そんな過去に囚われた精神状態にも関わらず、自分を含めた現実はひたすら先へ進んで行く。
熱が冷めた…?
斑目がコミフェスに参加した際、ポツリと漏らした想いに彼の状態は象徴されています。
このかつては持っていたはずの熱が冷めて行き、そんな自分に焦燥感を抱くという構図。
今の自分には全く想像ができませんが、年を重ねていく毎に、一つの現実として現れるとの事。
取り残されってしまった(ように見える)斑目への年上の知人・友人等の共感は、自分にとって印象深く残っています。


ちなみに、実際に聞いて斑目愛の一つの究極系だと思ったのが、「げんしけん 二代目」不要論。
この意見の発言者は、「げんしけん」という作品が嫌いや苦手という訳ではなく、恐らく大好きです。
「でも、斑目には続編で再び苦しむ事なく、ただただ幸せになってもらいたかった!」
この想いを実際に聞くと非常に熱く、一見過激に見える意見から愛に満ちた優しささえ感じます。



一つ確かな事があるとすれば、自分の周りは、げんしけん」という作品と斑目が大好きという事。
実際にはもっともっと色々な意見が挙がっている訳で、「げんしけん」と斑目への愛は120%間違いないはず。
ただ、それぞれの経験,年齢,現状によって、作品に抱く想いが異なっているのは話していてとても面白いです。


自分にとって、かつての「げんしけん」は面白そうで、いつまでも眺めていたい場所と書きました。
また、今の「げんしけん 二代目」は(ここまでの連載では)楽しそうで是非とも混ざりたい場所になっています。
でも、そう遠くない未来、自分も居心地の悪さを感じたり、斑目へ共感を抱いたりする事になるかもしれません。
同時に、もしかしたらSpotted Flower」な世界線を心の片隅で期待するなんて事も?
楽園Le Paradis 第6号
自分自身の過去,現在,未来で、楽しみ方や感想が色とりどりに変化する。
そして、同じ「好き」の中の違いを、皆で語り合う事ができる。
それはとっても素敵な事だと、私は「げんしけんトークの度に思うのでした。