「好き」や「楽しい」の先にある世界、“夜の海”で戦い生きる者達 - 「3月のライオン」

心を揺さぶられる作品は、何度読んでも心を揺さぶられるもの。
いつも雑誌で読んでいても、まとめて単行本で読み返す事で更なる発見をする時さえある。
そんな今回は、「3月のライオン」(羽海野チカ)の“夜の海”の話。
具体的には、一貫した“夜の海”の演出が、「好き」や「楽しい」という気持ちの先にある勝負の世界を示しているように思えた。
3月のライオン 5 (ジェッツコミックス)
ハチミツとクローバー」の羽海野先生の新境地として『ヤングアニマル』で始まった今作も、早いもので第5巻。
宗谷名人の圧勝で獅子王戦は幕を閉じ、新人戦を控える零は2年生に進級。
新しいクラスには当然馴染めず、再び孤立する零。
そんな時、林田先生の計らいにより、将科部(放課後将棋科学部)の一員として活動していく事になる。


彼にとって殆ど初めてとなる部活動で、零は、将棋の戦法や勝負の世界の理を部員達に説いていく。
そこで、将棋の厳しさや敗北の苦しみを初めて体験する部員達から「将棋をやっていて楽しいか?」と問われ、硬直してしまう。
「楽しい」と答えられない

たの……

え?

初心者なら誰しも思うシンプルな質問に、どうしても「楽しい」と答えられない。
この後はコメディな描写が続くけれど、結局、零は肯定の答えを言えずにフリーズ。


この状況、第2巻の第19話で、零が松永七段に「将棋好きですか」と問いかけた場面を彷彿とさせた。
互いに降格(加えて松永七段は引退)を賭けた負けられない大一番、零の実力は松永七段を圧倒的に上回っていた。
動揺や激昂という大人げない態度を見せながらも、試合後の夜も更け始めた頃、松永七段は静かに零に語った。
老いた大先輩の答え

―――知らん

知るもんか…

勝った時は叫び出す程 嬉しくて

負ければ内蔵を泥靴で踏みにじられるように苦しくて
世界中に「生きる価値無し」と言われたような気持ちにさいなまれた…

なのにっ……それなのに辞められなかった
この気持ちを

そんなっ
言葉なんぞで

言い表せるものかっっっ

40年という途方もない年月を費やし、勝った時の喜びも負けた時の悔しさも、血肉の一部となっている。
敗北を悟っても、心が「負けたくない」と声にならない叫びを上げ、盤上でみっともなく足掻き続ける。
対局前に香子が零に言い放った通り、そんな人物は傍から見たら「将棋が大好き」としか思えない。
しかし、実際は棋士歴40年の大ベテランだからこそ、将棋への想いを「好き」や「楽しい」という一言だけで言い表す事など到底できない。


40年という歳月には遠く及ばないけれど、一人の棋士である零も同じ世界で生きている。
ある日突然に家族を喪った彼は、生きるために「将棋が好き」という嘘をつき、幸田家の養子に。
そこから義姉弟の香子や歩を追い抜き、史上5人目の中学生プロ棋士という偉業を達成し、遂には義父の幸田八段さえ追い抜く。
今でも神童と謳われる零だが、その裏には狂気的な努力があった。
絶えず“夜の海”に浮かぶ

ずっと

足のつかない夜の海に

浮かんでいるような日々だった

この小さな盤しか

すがれるものは

もはや無かった

自分を殺して将棋に埋没し、ひたすら指し続けた。
それが「逃げ」だと心のどこかで分かっていながらも、将棋を指す事しか生きる術を知らない。
強くなればなる程に自分が空っぽになっていき、今に到るまでずっと“夜の海”を彷徨い続けたまま。
そんな零が、将棋を「楽しい」と一言で言えないのも自然な道理。


表現は違えど“夜の海”に囚われているのは、零だけではなく、他の棋士も同様。
第3巻収録の第26話では、スミス(三角)が後藤九段との一局で、真っ黒な水に飲み込まれた。
息をする暇も与えられないまま、水底へ引きずり込まれ、スミスは完敗。
また、第4巻収録の第42話では、島田八段が宗谷名人との一局で、黒い沼に沈んでいく。
応援し続けてくれる故郷の期待と積み上げて来た努力を以て、島田八段は文字通り必死にもがく。
だが、彼が勝利を手にする事は一度足りともなく、結果は満身創痍でストレート負け。


更には、棋士以外の人間も“夜の海”に囚われている
第4巻の第36話では、零の心の枷となっている香子もまた、深く暗い海の底でもがいているという事実が描かれていた。
夜の海に沈む「まじょ」

あのチビ
ひとのコト「まじょ」とか言いやがって

――ホントに魔女なら
こんな情けない苦労してないわよ…

香子にとって、後藤は、かつて自分の父の弟弟子だった20歳は年上の妻帯者。
それは、社会的に決して認められない関係で、不器用ながらも香子を心配している父にさえ明かせない。
時に疚しさと恐怖を感じながらも、後藤を愛する気持ちは本物で、後藤から離れる事はできない。
香子の後藤への想いも「好き」という言葉一つだけでは、語りきれない。


何かと真剣に向き合って追求したいと思う以上、どこかで「好き」や「楽しい」と感じているはず。
その何かは、棋士達にとっては将棋で、香子にとっては後藤との関係で。
でも、追求すればする程、「好き」や「楽しい」だけでは乗り越えられない世界に踏み込んでいく事になる。
この“夜の海”の演出こそ、まさにそういうシビアな世界の象徴な気がした。
宗谷名人に大敗を喫し、疲弊しきった島田八段を見て、零はその世界を改めて実感している。

倒れても倒れても

飛び散った自分の破片かけら)を掻きあつめ

何度でも立ち上がり進む者の世界

終わりの無い彷徨

(中略)

――その答えは

あの嵐の中で

自らに問うしかないのだ

“夜の海”に囚われる事はどうしようもなく苦しいけれど、それなくして何かを極め成し遂げる事は有り得ない。
成長や達成感は元より、島田八段にとっての“生の実感”のように、各々に“夜の海”の中でしか得られないモノもあると思う。
“夜の海”の中で戦い生きていく皆が、彼等にとっての答えを見付けられるよう願いつつ、今回は締め。