誰もが“諦めず”に舞台に立ち続けられるのか? - 「ハックス!」&「とある科学の超電磁砲」
※更新の内容上、「ハックス!」(今井哲也)と「とある科学の超電磁砲」(冬川基×鎌池和馬)のネタバレを含みます。
本日の更新は、以下の記事からスタート。
三山はなぜデレなかったか? : 『ハックス!』
約3ヶ月前に最終巻が発売された「ハックス!」の三山というキャラクターについての一思案。
(ちなみに、上記記事内で引用されている質問をサイン会で今井先生に尋ねたのは、実は俺だったりw)
この三山というキャラクター、良い奴・悪い奴で大きく分けた場合、間違いなく悪い奴。
嫌な奴,駄目な奴,可哀想な奴と言い換えても良い。
しかし、同時に、読了後に悶々と印象深いキャラクターでもあると思う。
極々簡単にまとめると、この三山というキャラクターは、群像劇の中でメインキャラクターの座に就いていながら、日々を惰性に任せ、頑張る事を諦め、何もなせず変われぬままフェードアウトして行く。
その姿は、物語開始時や途中で何らかの目標を見付け、各々の目標に向かって頑張った大多数のキャラクター達(サブキャラクター達含む)とは、大きく異なる。
かと言って、三山は、最後まで目標を見付けられずに変われない一部のサブキャラクター達とも違う。
三山はメインキャラクター(=目標を見付けられるチャンスや目標を叶えようとする仲間が直ぐ傍にいる)だったにも関わらず、自ら頑張る事を放棄して、作品の舞台から消えて行ったからだ。
この三山の結末、「とある科学の超電磁砲」における佐天さんや学園都市の“諦めた”学生達と真逆なんじゃないかなぁと不意に思った。
「とある魔術の禁書目録」外伝である「とある魔術の超電磁砲」の
そして、その“諦め”の集合体は、美琴,黒子,初春…等々の自分の出来る事を“諦めない”者達の団結によって無に帰す。
その
この街のこの力強い(或いは、力強すぎる※2)メッセージと共に、学生 達は(
いつまでも折れている程ヤワじゃない
同じ学園を舞台にして、同じように“諦めた”人間を描いているけれど、その“諦めた”人間の結末は対照的。
冒頭の記事でも述べられているように、「ハックス!」の三山の結末は、作中の色々な点でリアリティ&それ以上の効果を出していたと俺も思う。
では、「とある科学の超電磁砲」の
勿論そうではなく、むしろ対照的な結末を描いているからこそ、両方セットで読む価値があるのではないかなと。
前者は、今後のための反面教師や戒め(或いは過去の自分を思い出しての「アイタタタ…」や反省)に繋がるはず。
一方、後者は、今後のための情熱や原動力やエネルギーに繋がるはず。
個人的に、どちらが欠けていても人間は頑張れない=(人によって最適なバランスは違えど)両方が揃っているから人間は頑張れるのだと思っている。
対照的な“諦めた人間”の結末を描いた二作品、どちらも非常にオススメなので是非とも読み比べて欲しい。
そして、それが読者の皆様の明日への活力に繋がったら、それ程嬉しい事はない。
※1, 専門用語を省いて物凄く簡単に書くと、この《
※2, 「いやいや、どんなに特殊な環境だろうと、人間である以上はヤワで折れ続けている子もいるだろ!w」と、心の中で無粋&余計なツッコミを入れたのは良い思い出。作品全体を相当評価していて、
【余談】
上記の
《
悪いけど『この時点では、美琴は“諦めない”者の象徴として描かれていたはず。自分だけの現実 』を他人に委ねるような人達には 負ける気がしないわ(
こんなとこで苦しんでないでとっと帰んなさい
しかし、その後の
必死に抗う彼女だが、原作&アニメ「とある魔術の禁書目録」で既に描かれている通り、美琴は圧倒的絶望の中へ沈む。
そして、最終的に、原作主人公:上条当麻によって救われる事が確定している。
つまり、
“諦めない”から“諦めた”へ一旦シフトすると言い換えても良いと思う。
すると、作品世界で“諦めない”者達の頂点に立つのが、原作主人公の上条さんなのかなぁと。
そして、常に“諦めない”を維持し続けられるのであれば、それは精神的には最強(=上条さん伝説も自然)だよなぁとぼんやり思ったのでした。