新田美波と新子憧はなぜエロいか?:「歩くセックス」と「奈良円光」に関する心理言語学の観点からの一考察

言うまでもなく、本記事はネタ記事です。
内容・構成について細かな点に限らず、大まかな点にも粗や異論反論あるかと思いますが、生温かい目でご容赦頂けると幸いです。
尚、前提知識がある方や要点のみ知りたい方は、考察まで飛ぶと良いかと思います。


序論

始まりは、C氏(monyako氏)の以下の記事を読んだことである。
新田美波はなぜエロいか (from はじめてのC お試し版)
著者も新田美波を初めて見た際、何となく性的魅力を感じた一人である。
この記事は、その「何となく」を言語化した上で、暫定的な一考察を提示した良記事だと思う。


さて、著者は今年の上半期、実質3-4ヶ月程ネットを含む趣味全般から離れてしまっており、
この新田美波と「歩くセックス」に加えて、新子憧と「奈良円光」も併せて同時期に観測した。
どちらも作中では性的魅力を一切明言されていないにも関わらず、受け手の多くが性的魅力を抱いていると推測される。註1


もしかしたら、共時的「何となくエロい」現象の萌芽なのでは……という稚気じみた妄想(ゆめ)を頭の片隅に置きつつ、
拙い身ながらも理由を自分なりに考え続けていた所、セミナーの資料作成中に"Eureka!!"と閃いたのでココに一考察を記す。


本記事の目的として、以下2点を設定した。
1.
「歩くセックス」と「奈良円光」に共通する「何となくエロい」の理由を、著者の専門の関連領域である「心理言語学」の2種類の理論より考察する。
2.
冒頭の記事内の暫定的な結論(オチ)として「中世から文系はアホ」という事が述べられていたので、やはり現代の文系もアホであると、関連領域からの考察を行う本記事を以って示す。註2

「歩くセックス」と「奈良円光」

まず、そもそも「歩くセックス」と「奈良円光」とは一体全体何なのかを簡単に述べておく。
一言で言えば、
「歩くセックス」は『アイドルマスターシンデレラガールズ』のアイドルの一人である新田美波
新田美波(特訓前). (2012, May 25). In アイドルマスター シンデレラガールズ 攻略wiki. Retrieved June 19, 2012, from http://idolmaster-cinderellagirl.net/%BF%B7%C5%C4%C8%FE%C7%C8.html#oae6e114新田美波(特訓後). (2012, May 25). In アイドルマスター シンデレラガールズ 攻略wiki. Retrieved June 19, 2012, from http://idolmaster-cinderellagirl.net/%BF%B7%C5%C4%C8%FE%C7%C8.html#g31d2afc
「奈良円光」は『咲-Saki- 阿知賀編 episode of side-A』のメインキャラクターの一人である新子憧
咲-Saki- 阿知賀編 episode of side-A(1) (ガンガンコミックス)咲-Saki- 阿知賀編 episode of side-A 1 [DVD]
の事を指す、非公式の(二次創作的な)呼称である。註3
歩くセックス
奈良円光 (from pixiv百科事典)
ちなみに、著者は初見で心を奪われ、スバラシイ言語センスだと思っている。

プロトタイプ理論」と「スキーマ理論」

本記事の考察のために、心理言語学の分野における2つの理論:プロトタイプ理論スキーマ理論」を示す。


プロトタイプ理論(Prototype Theory)は、所謂「〜らしさ」に関する理論である。
例えば、ハトとフラミンゴでは、どちらが鳥らしいだろうか?
或いは、"eat", "munch", "crunch", "gobble"という英単語では、どれが他の単語よりも「食べる」らしいだろうか?
社会・文化背景等の要因により差異や例外はあるかもしれないが、恐らく一般的な回答は
ハトの方がフラミンゴよりも鳥らしく、"eat"の方が他の単語よりも「食べる」らしいとなるはずである。


このように私達の心の中には、カテゴリーやグループ毎に「〜らしさ」の典型的な規範(プロトタイプ)が存在しており、
特定の対象を認識・理解する際、そのプロトタイプと照らし合わせ、「〜らしさ」の程度によって分類が行われる。


勿論、プロトタイプに近ければ近いほど「〜らしい」と判断されるが、極僅かでもプロトタイプに類似する点があれば、
(〜らしくない例外として)同じカテゴリーやグループの中に分類、記憶できる柔軟さを持ち合わせている。


スキーマ理論(Schema Theory)は、私達が既に持っている先行知識(スキーマに関する理論である。
私達は特定の対象を認識・理解・記憶する際、その対象から何らかの鍵(キューと呼ばれる)を見付け、
心の中に存在するスキーマからキューに適切なものを呼び出し、その対象を心の中に再構築する。
そして、その再構築した対象と実際の対象が一致すれば、完全な理解が行えた事になる。


しかしながら、スキーマは知識や経験に基づくものなので、その対象に関連するスキーマを持っていない場合も有り得る。
また、本人はキューに対して適切なスキーマと思っていても、実際にはスキーマが間違っていて誤解する場合もある。
要するに、例えば英語がペラペラな人であっても、読んでいる文章や話している内容について門外漢、
または興味関心が薄いためにスキーマが少なければ、読解や会話に困難を来す可能性が高いという訳である。


尚、プロトタイプ同様にスキーマも、特定の対象の特徴による形式スキーマ(formal schema)と
社会的・文化的な要因による内容スキーマ(content schema)という2つの柱が存在する。

考察

以上で考察対象と理論の概観註4を終え、紙面の都合上、早々に考察へと移行する。
つまり、「歩くセックス」や「奈良円光」という言葉の誕生は、プロトタイプ理論的には
新田美波と新子憧はどちらも、私達の心の中の「実は裏で援助交際を行うビッチ」のカテゴリーのプロトタイプに近い
言い換えると、そうした女性キャラクター達のグループのプロトタイプ的特徴を多く有していると考えられる。
この場合、冒頭の記事におけるSomething Orangeの海燕氏の意見は、こうしたプロトタイプの一部となる。


一方、「歩くセックス」や「奈良円光」という言葉の誕生をスキーマ理論的に考えると、
新田美波と新子憧はどちらも、私達の今までの人生の中で蓄えられてきた「実は裏で援助交際を行うビッチ」
に関連する既有の情報、知識、経験を強く喚起する外見・内面の特徴を持っているのではないか、となる。
この場合、冒頭の記事におけるSomething Orangeの海燕氏の意見は、そうしたスキーマを列挙・分析している事になるだろう。


但し、実際(公式)には「実は裏で援助交際を行うビッチ」ではないので、
そうした特徴を持っているにも関わらず、実際にはそうでないアンバランスな(魅力を持つ)キャラクター造形とも考えられる。

結論

本記事では、新田美波のエロさに関するC氏の提案に端を発し、
新田美波・新子憧から何となく感じる性的魅力、即ち「歩くセックス」や「奈良円光」の理由について心理言語学の理論を用いて、考察を試みた。註5


本記事の考察に関しては、上記の2種類の理論を用いる事の妥当性を含め、今後のより一層の検証が必要だと考えられる。
また、本記事は暫定的な一提言の域を出ないが、今後の「歩くセックス」や「奈良円光」考察
ひいては何となく感じるエロさ・ビッチに関する考察に寄与するものであることを願う。
最後に、序章で提示した本記事の目的2に関しては、読者の判断を仰ぎたい。


余談ながら、本記事のプロトタイプ理論スキーマ理論の応用・考察が妥当なものだったとして、
逆にプロトタイプ理論の問題点・スキーマ理論の活用方法もモバマスによって説明が可能だと考えられるが、
将来的な記事の課題としたい。
THE IDOLM@STER CINDERELLA MASTER 006 神崎蘭子THE IDOLM@STER CINDERELLA MASTER 007 前川みくTHE IDOLM@STER CINDERELLA MASTER 008 諸星きらりTHE IDOLM@STER CINDERELLA MASTER 009 城ヶ崎美嘉THE IDOLM@STER CINDERELLA MASTER 010 島村卯月


脚注

註1.
咲-Saki-』の所謂「履 い て な い」については、本記事では考えない。
一応の私見を書いておくのならば、咲-Saki-』において「履 い て な い」は呼吸と同じくらい日常的な事で、
最近は主に永水女子高校の存在もあり、「履 い て な い」はそこまで性的魅力に寄与していないと考えている。
咲-Saki-(8) (ヤングガンガンコミックス)
註2.
但し、著者は「文系・理系の二分で見れば文系」、「取得学位的にも一般的には文系」という事になると思うが、
実際の自分の専攻・専門テーマは所謂「文系」からは結構離れている可能性が高い。
今回の「心理言語学」についても、あくまでも関連領域の一つである。


註3.
それぞれの原作の略称は『咲-Saki- 阿知賀編』・『モバマス』(或いは『モゲマス』や『シンデマス」』とも)
が一般的かと思うが、以下のような略称の存在も確認されるようである。
アイドルマスターシンデレラガールズってなんて略す? (from とりあえず速報)


註4.
本記事では極々大まかな解説のみに留めており、実際には詳細な基準・区分等を有している。
また、どちらも理論なので欠点や改善点は指摘されていると共に、更に解明すべき点も存在する。
尚、もしかすると記号論のアイコン、インデックス、シンボルなどにも通じている考え方かもしれない。


註5.
上記の理論は「心」に関する複数の研究分野で用いられている事・本考察の対象は言語ではない事から、
本記事の題目には「心理言語学」や「認知言語学」ではなく、「心理学」や「神経学」の方が適切だったかもしれないが、
後者は著者との関連が非常に薄いため、前者を用いた事をご了承願いたい。