時間の理を超える!決して消えない人の意志!

さてさて、「魔法少女まどかマギカ」の第10話、ようやく先週末に視聴する事が出来ました(関東組)

ほむほむマジほむほむ!
そんな一言感想はさておき、ここまでの積み重ねが一気に解放され、素晴らしかったです。
時間の理を犯してでも、まどかとの約束を果たそうとするほむらの姿には、月並みながら心打たれました。


さて、この「時間の理を犯す」という行為は、創作物において決して珍しいテーマではないと思います。
現実では有り得ないが故に、私達は「もしも、あの時…だったら」を願って止まない生き物でしょう。
その願いは、ループ,タイムスリップ,転生,平行世界など、色々な形で創作物に姿を表します。


時間の理を超える事で、現実では起こり得ない奇跡を掴み取れるかもしれない。
その一方で、本来起こるはずのなかった矛盾や悲劇を生んでしまう可能性もあります。
しかし、その危険や自身の精神的摩耗を伴っても、時間の理を超えて果たしたい人の意志が存在する。
という訳で、今回は、時間の理を超える人の意志を描いた作品を紹介します!
※テーマの性質上、「まどマギ」同様、作品の根幹に触れている場合があります。出来る限り根幹はボカしますが、ご了承下さい。

ボクラノキセキ」(久米田夏緒

ボクラノキセキ 3 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)
まずは、最新4巻が今月26日に発売の「ボクラノキセキ」です。
今作は『コミックZERO-SUM増刊WARD』に連載中で、時間の理の超え方は“転生”です。
遥か昔、同盟国モースヴィーグの突然の裏切りにより崩壊したぜレストリア王国。
王女の生まれ変わりである皆見 晴澄(みなみ はるすみ)は、今世で今度こそ自分の大切な人達を守って平和な日常を過ごす事を望みます。
けれど、数年後、変わらず平穏な生活を望む皆見のクラスメイト達は、次々と前世の記憶を思い出して―――。


もう一度、前世の記憶を持ったまま、別人として人生をやり直せたら?
この問いは、人によっては非常に甘美な響きを持っていると思います。
所謂「つよくてニューゲーム」状態で、前世の知識や体験を、新しい自分に応用できるからです。
前世と今世
しかし、自分だけがそうなると、周囲の人間と歩幅を合わせる事に困難が生じかねません。
前世の記憶は基本的に周囲に明かす事は出来ず、新しい人生で新しい知識や常識も学ばなければならない。
それは、果たして、一人の人間が安々とこなせる事でしょうか?


また、複数人が前世の記憶を持ったまま転生すると、当然ながら前世での関係を引き継ぐ事になります。
前世を忘れて生きていきたい者もいれば、前世での悲願を成し遂げたい者もいるでしょう。
前世に縛られる
更に悪い事として、前世での関係が、負の感情を生むような悪いモノであったら?
前世を持ってしまう事で、今世で生きているにも関わらず、前世に縛られてしまう。
それは、「別人として人生をやり直す」と言えるのでしょうか?


そもそも、意図しない転生は、誰の目論見なのか?
同じ場所に転生者達が揃い、同じ時期に記憶を蘇らせつつあるのは何故なのか?
大元の疑問に各々の意図や思惑が交錯して、事態はひたすらに激しさを増しており、まさに最新4巻は待望です!

「時間の歩き方」(榎本ナリコ

眠れる夜の奇妙な話コミックス 時間の歩き方(2) (眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)
次に、『ネムキ』で連載中の「時間の歩き方」です。
非日常的要素を含む作品も多い榎本ナリコ先生。今作の時間の理の超え方は“タイムトラベル”
タラベル(タイムトラベル)がポピュラーな観光になった25世紀、ある目的の下でタラベルを繰り返す井村遇太。
趣味も高じて、飛んで来た20世紀で、タラベル能力を持つイレギュラー過ぎる女子校生:杉田果子と出逢って―――。


タラベラー遇太との出逢いによって、自身の非凡な能力の詳細を知っていく果子。
その矢先、その超常の能力を持って、大切な人を救うべく奮闘する事になります。
「先輩」がいない今日
但し、冒頭のほむほむと同じように、別の世界へ渡り歩いても未来は同じ地点へと収束して行く。
彼女もまた、心を磨り減らして絶望を繰り返し、救いたい人のために純粋な想いで禁忌を犯し続けます。
そして、業を重ね続けた彼女に与えられた最上級のペナルティとは?


そのペナルティを受けて、果子はタイムトラベルの放浪を続ける事になります。
自身の事情へ巻き込んでしまった遇太だけでも助けたいと、果子は再び時間との闘いへ。
時間に抗う
その放浪の途中、遇太の過去や目的を知ったり、果子と同じく時間の咎人となった人達と出逢ったり。
時間の経過と共に消えてしまうモノ・残り続けるモノ、時間は全てを包み込んでいる事を彼女は学んで行きます。
それ程までに強大な時間を相手に、諦めず抗い闘い続ける彼女に、ひたすらエールを贈りたくなるのです。

「チュニクチュニカ」(水谷フーカ

チュニクチュニカ
最後は、楽園 Le Paradis』コミックスとして復活を果たした「チュニクチュニカ」です。
水谷フーカ先生の初期作品である今作は、発売から後直ぐに、旧出版社が倒産して絶版の憂き目に…。
GAME OVER」,「この靴しりませんか?」,「うのはな3姉妹」等と多岐に渡り活躍中の今だからこそ、復刊はありがたい限り。
今作の時間の理の超え方は、“死ぬ事を拒んで生き続ける”です。
つまり、既に死が確定して肉体は死滅へ向かっているにも関わらず、精神力のみで現世に存在し続ける事。


不死とまでは行きませんが、不老の身で死を遅らせられるとだけ聞けば、聞こえは良いはずです。
しかし、死を拒む事で得る不老の生は、嘘にまみれた地獄でもあると思うのです。
摩耗するココロ
死が周知の事実になっている以上、死ぬ前の自分と同じ身分ではいられず、身分を偽る事になります。
更に、近しい人に元の身分がバレてしまったとしても、大切に思う相手だからこそ死んだ事は語れない。
この生活で正常に精神を維持し続けるのは、極めて困難だと感じます。


そして、何より辛いのは、死を遅らせているだけだという事。
不老ではあっても、不死ではなく、自分自身を維持出来なくなった時に本当に死が訪れる。
変わらない事実
進んだ時計は戻る事がなく、死という事実も消える事はない。
生きている限り、人間の欲望や願望は尽きず、未来を望み続けてしまう。
しかし結局、死ぬ時を遅らせても、死や時間に怯える事は変わらないのではないでしょうか?


但し、「子等の、親子の、兄弟の、全ての愛で満ちている物語。」という帯の言葉通り、今作はあらゆる“愛”の物語です。
“愛”と一言で言っても、所謂カレシ・カノジョの恋愛に限らず、これ程までに多様な愛が世界にはあるのだと感じられます。
併せて、時間の理や死の事実によって移ろう事のない、決して消えない人の意志を刮目出来るはずです。



冒頭でも書いた通り、時間の理を超える事で、起こせる奇跡もあると思います。
しかし、今回は敢えて、悲劇や困難の面に焦点を当ててみました。
最初に“時間の理を犯す”という表現も用いたのも、そのためです。


今回のテーマに関して、上記の作品以外にもパッと思い付いただけで、以下の通り盛り沢山。
●アニメ映画:「時をかける少女
●ゲーム:「ひぐらしのなく頃に」,「Fate/hollow ataraxia
●漫画:「惑星のさみだれ」(水上悟志),「カムナガラ」(やまむらはじめ),「放課後のカリスマ」(スエカネクミコ
捉え方によって数に変化はありそうですが、ウンウン頭を捻って考えれば、果てなく増えると思います。
それだけ、私達にとって、時間の理は超えたい/犯したい物なのでしょう。


しかし、時間の理を犯す事は起こり得ない事であると同時に、起こってはイケナイ事でもあると思うのです。
ある絶望的未来を回避して、最終的に奇跡を掴めた作品でも、その奇跡の代償として相当の犠牲を払っています。
時間は皆に等しく流れているから「もしも…」を願うけれど、その「もしも…」は皆に等しく起こらない。
その普遍の理を犯しても成し遂げたい想いだからこそ、時間の理を超越した奇跡は更に貴い物になるのだと思います。


まどマギ」に関しても、残された二話で、ほむほむ達の行く末がどうなるかは分かりません。
ただ、奇跡を願って止まない弱くて甘い私は、彼女達に少しでも多くの幸せが訪れる事を祈ってしまうのでした。
魔法少女まどか☆マギカ 2 【完全生産限定版】 [Blu-ray]
最後に、第10話で昂ぶりが鎮まらなくなった駄目な大人達によるオトナの「まどマギ」談義を置いておきます。
Togetter - 「オトナの『まどマギ』語り!リビドーをティロ・フィナーレ!」
既にタイトルから駄目感が漂っていると思うので、口直しとして読む場合は自己責任で。
尚、話の内容上、参加者は全員良い年した大人だという事は明記しておきます。